スティールアリス
頭の中にある記憶、心の中にある思い出は、自分自身を形成する重要な部分である。と、私は認識している。年を重ねれば否応なしに記憶は蓄積されてゆき、思い出は努力が結晶化するものであると私は考える。そして、年を重ねるごとに記憶は抜け落ち、思い出は溶けてなくなってしまう。記憶がなくなっていくと人間はどうなるのだろうか。私が私らしくあり続けるために記憶と思い出が必要だと考えていたけれど、本当は私自身に必要なのではなくて、私を取り巻く周囲の人たちに必要なのかもしれないね。
奇跡とか
現実で過ごしていく生活に刺激が足りなくなった時、その日常を壊してしまうような、悪いものを取り入れようとしてしまうくせがあって、上手に生きられない。
本当は穏やかに波風立てず小さな喜びだけを大切に暮らしていきたいと思っているのに、そうさせないのは自分の奥底にある非常に悪質なこどもの部分である。
耐え難い悲しみと堪え切れぬ怒りで呼吸すらまともに出来なかった日。
いっそ死んでしまえたら楽なのに、幼い笑顔が、冷蔵庫の生鮮食品が、配達予定の荷物が、自分自身を堕落させないように環境は整えられていた。仕方がないので、とにかく時間が過ぎて癒えるのを待ちながら、こなしていくしかないと覚悟を決めるしかなかった。それから静かに、静かに、すべてが滅びて壊れて、何もかもが焼け野原になるような夢を見ている。
後ずさり
ほとんど思考しない状態で聞く音楽は最悪のリズム。こんなはずじゃなかった私の頭の中だけど、これのおかげで生きてるんだろうなとも思ったりして。ちゃんと、したい。
停止を恐れろ
思考停止すると時間が止まる。時間が止まるとずっと同じ事をし続ける。同じ事をし続けると生産性は落ちる。生むものがない状態は死と同等。生きているのに死んでいる状態と同じということに意味はあるのだろうか。しかし、意味があることに価値はあるのだろうか。そんなことを考える日だった。私は今生きていて、パンクスたちの言葉を思い出している。